連載「東京23区物語」は、フィクションとノンフィクションが交錯する、23個のストーリー。ふかわりょうさんの紡ぐ、独特な世界をお楽しみください。記事一覧はこちら
第2回「不思議な接着剤」(後編)
はじめて踏み入れたわけではないですが、個人的な目的で、能動的に踏み込んだのは人生初。ほとんど接点がなく、実際どんな駅があるのかも把握していません。赤羽があるというくらいでしょうか。東京の南の方から首都高に乗って北上し、見慣れぬランプで降りると、新幹線の高架に空を奪われました。
「この辺りだと思うんだけど」
大通りから一本入った住宅街をゆっくり進む私を待っていたのは、短パンに白いランニング姿で路地をウロウロするおじさんでした。車種が伝わっていたからか、窓を開けて声を掛けると、たちまち彼の表情が変わります。
「うわー、府川さんってやっぱり、あのふかわさんでしたか」
体をのけぞらせたおじさんの遠慮のない声が住宅街に響き渡ります。
「じゃあ、ここ停めちゃって」
いわゆる町工場というのでしょうか。大きな看板はなく、日曜大工の延長のようですが、ガレージには一般家庭では見かけないような道具が散乱しています。犬がおしっこするように道路から片輪乗り上げたビートル。ご自宅が近いのか、まるで庭のように路地を行き来する白いランニングから日焼けした逞しい腕が伸びています。
「ここね、どうしても剥がれちゃうんだよね」
日本の町工場が世界でも活躍していることは言うまでもありません。F1の部品を作っていたり、トップクラスの研磨技術を持っていたり。
北区は、明治時代に紡績や軍需工場が進出し、かの渋沢栄一は製紙会社を設立すると、民間外交の場として活用するなど、その発展に努めました。資本主義の父が愛した町と言えるでしょう。
「うちはね、特殊な接着剤使っているから」
そもそもなんのために開発された接着剤なのでしょう。私は、ドラム缶の上でバインダーに挟まれた紙に住所と連絡先を記すと、ペットを病院へ預けるような不安の中、町工場を後にしました。
それから2週間ほど入院し、いよいよ迎える退院の日。うまくいったのだろうか。ピックアップに電車で向かうと、ガレージに半分乗り上げてベージュのビートルが待っています。患部を確認すると、窓ガラスと幌がピッタリとくっついていました。
「これで、まず10年は大丈夫だから」
退院するベージュのビートルと安堵の表情が写真に収められると、私は屋根を開けて町工場を後にしました。灰色の高架が迫ってきます。ちなみに、10万円もしなかったと思います。
あのランニング姿と揺るぎない自信。北区というとまずそれを思い出します。あれからもう7、8年経ちますが、依然として窓ガラスはしっかりとくっついています。あのおじさんが、私と北区との接着剤になってくれました。
◆◆◆
次回は、9月13日(水)10時公開予定です。
お楽しみに。
◇PROFILE
ふかわりょう
1974年8月19日生まれ。神奈川県出身。
長髪に白いヘア・ターバンを装着し、「小心者克服講座」でブレイク。「あるあるネタ」の礎となる。現在はテレビ・ラジオのほか、執筆・DJなど、ただ、好きなことを続ける、48歳。
近著に、『スマホを置いて旅をしたら』(大和書房)、『ひとりで生きると決めたんだ』(新潮社)、『世の中と足並みがそろわない』(新潮社)などがある。
レギュラー
TOKYO MX「バラいろダンディ」毎週月曜~木曜 21:00~21:54
BS11「ForJapanー日本の未来がココにー」毎週金曜 18:00~18:29
TOKYO FM「野菜をMOTTO presents○○のある生活」毎週土曜 11:30~11:55
TBS「ひるおび!」隔週月曜10:25~13:30
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