この数年来のフィルムの高騰があまりにも凄まじくて、経済的な負担はかなりのものになり、いよいよ銀塩写真制作はギブアップするかなあ、などと思ったりして、このところかなり弱気になっておりますアカギでございます。おはようございます。
感材費が高騰したからアイツは銀塩写真から撤退したのだとか思われるのも、なんだかしゃくでありますから、現在でも意地で頑張っている状況です。そこに何があるのか?と申しますと、フィルムカメラが手元にまだたくさんあるからであります。これらを「はい、そうですか」と二束三文で処分したり、不燃ゴミにするわけにはまいりません。
とはいえ、フィルムは価格の高騰に加え、量販店でも品薄の状態が続いていることが追い討ちをかけます。
たとえば時間ができたので、防湿庫の中でずっと留守番をしていたライカM3を持ち出して、“光の狩人”になるのだと決心したとします。
ところが撮影に出かける前に、量販店に立ち寄って目指すフィルムを調達しようとするとフィルム売り場で大きな失望が待っています。フィルム売り場の棚はガラガラで「品切れ」と書いてあることも珍しくなく、在庫があるフィルムにも「おひとりさま1本まで」などとプライスカードに書いてあったりすると光の狩人は気持ちが萎えてしまいます。
もちろん、ネットで少し調べてみますと、個人商店などでは各種のフィルムは売るほど取り揃えているところも少なからずありますから、かんたんに見つけ出すこともできるので、安心はするのですが、地方などでは通販での入手しか手立てがないかもしれません。したがって、思い立ってフィルムカメラを持ってお出かけしようにも、それなりの準備が必要になり、どこか気軽さに欠けてしまうことになります。
貧しい筆者ゆえに、最近はフィルム装填も厳密であります。とくに35mmフィルムはカメラのスプールの先にフィルムの先端をわずかに入れ、ゆっくりゆっくり巻きあげれレバーを操作し、1枚でも多く撮影することをいつの間にか人生の目標にしていたりしています。ええ、貧乏くさいです。実際に貧しいのですから仕方ありませんが。
モータードライブは装着できても使いません。モードラ内蔵のカメラならば仕方ないですが、撮影は単写のみとします。なんのためのモータードライブかといえばスタイルと動作音を聞くためにあるのですから、これはまあ良いのですが、この考え自体がセコくて自分でも泣きたくなってしまいそうです。
何を言いたいのかというと、「量のない質はない」とする、森山大道さんの栄光の格言をフィルムカメラにて実行するには、それなりの対価が必要になるという話であります。
で、今日はおまえは連載で愚痴るのかよといえば、違います。フィルム品不足、高騰における対処を述べたいわけですね。方法は簡単です。ハーフサイズカメラを使うということであります。あまりにも単純な結論で呆れますか?
35mm判フルサイズのフォーマットは36×24mmですが、ハーフサイズは18×24mmとなります。別名シネサイズとも呼ばれていますが、そうです、かつての商業映画での基本フォーマットでありますね。このフォーマットを採用したカメラをハーフサイズカメラと呼びます。
動画といえば余談ですが、昨今の35mmフルサイズのミラーレス機の多くは動画撮影をごくフツーにできてしまいます。たしかに画質はものすごく素晴らしいですが、筆者に言わせれば、えらく贅沢をしているというか、そこまでしなくてもいいんじゃねえのと思ったりします。
被写体認識などの機能が充実してAF精度が向上してもですね、撮り直しのきかない撮影ではフォーカスをどう思うようにコントロールするかで、スチル撮影以上に緊張することになります。データもとても大きいですしね。撮ったはいいけど編集をどうすんだよとか。
あ、すみません。余分な話が長くなりました。
で、ハーフサイズカメラ話を続けますとですね、そう、フォーマットからおわかりのとおり、35mm判、36枚撮りのフィルムでは72枚撮影できます。24枚のものなら48枚ですね。
つまり、フィルム規定の倍の枚数が撮れるからお得だぜ、ということになります。フィルム価格がいきなり半額になったと同じ理屈でありますね。
先に述べたように現在、フィルムはとても高くなりましたが、1970年代初頭まではフィルムって今と負けないくらい高額でした。だから当時としても、撮影枚数を増やすことでお得感を出そうとしたんでしょうね。
でもね、フォーマットサイズが小さいから、画質が低下するじゃないかという懸念があります。理論的にはたしかにそうですが、現代では問題にはなりません。
それでもね、新しいフィルムがどんどん開発されていた2000年くらいまでは、フィルムの画質も驚くほど向上していたので、ハーフサイズのデメリットってほとんど感じなくなっていたのです。なんとしても高画質が必要なら、素直にデジタルカメラで撮影すればいいわけで、このあたりの割り切りというかフレキシビリティこそ現代写真術には必要なんじゃないかと思いますよ。
久しぶりにロッカーから持ち出すハーフサイズカメラは、コニカFT-1 PRO HALFとオリンパスPEN Sを選んでみました。いざ出撃であります。
まずはコニカFT-1 PRO HALFのほうの話をします。かつてのコニカ(現コニカミノルタ)は富士フイルムとならぶフィルムメーカーでもありましたが、なぜかハーフサイズカメラがお好きでした。
一眼レフでは本機と1965年に登場したKONICA AUTOREXとKONICA AUTOREX Pという、撮影途中でも35mmフルサイズとハーフサイズを切り替えることのできる一眼レフがありました。これらはフィルムアパーチャーをガレージのシャッターみたいに動かすことができ、かつメカニズムの工夫でフィルム送りの量を変えて、フルサイズとハーフサイズの切り替えを行うことができます。しかもフィルム装填後にも切り替え可能でした。
同じネガにフルサイズとハーフサイズのコマが混在することになりますから、自家現像する人はまだいいんですが、カメラ店や現像ラボのオペレーターのみなさんがブチ切れたという話もございました。
レンズシャッター機には1959年発売のKONICA III M、コンパクトカメラには1984年のKONICA RECORDERというのもありましたねえ。これは今も欲しいですね。それに限定発売でしたが1992年のKONICA HEXARとか、1999年のKONICA HEXAR RFにもハーフサイズのフォーマットの特別仕様モデルがありました。
考えてみればパノラマみたいにフォーマットサイズを大きくしたほうが、撮影可能枚数は減少しますので、フィルムは早く終わります。つまり、たくさんのコマを撮影するには多くのフィルムを使わなければなりませんから、そのほうが当然フィルムメーカーは儲かる理屈になると思うのです。石油メーカーと自動車メーカーが一緒になったような話ですし。
でもコニカは逆張りをしたわけで、学校での証明写真などを撮影する営業写真館さんのためにこれらのハーフサイズカメラを作ったという話も聞いたことがあります。このあたりは商売っ気を感じさせずにエライですよねえ。撮影枚数が半分ですからフィルムの使用量も半分で済んでしまいますね。
これらのコニカのハーフサイズカメラはKONICA RECORDERを除けば基本的には素直にカメラを構えれば、デフォルトで縦位置になります。証明写真が縦位置であることを考えれば、ホールディングを変える必要がなく撮影の労力も少し減ったんじゃないですかね。
コニカFT-1 PRO HALFは、コニカFT-1 MOTORをベースとして1983年に登場したシャッタースピード優先AE機であります。モータードライブ内蔵で、フィルム巻き上げレバーはありません。ふだんはシャッター速度優先AE(いわゆるTモードですね)は使わないので、久しぶりでした。
本機の使い心地はなかなか素晴らしいものがあります。シャッター音もモーター内蔵機にしては静かなほうで巻き上げ動作も滑らか。動作音も耳障りになりません。
ファインダー内にはハーフサイズのフォーマットに合わせて、アタリの24×18mm線が黒々と書いてあります。これに合わせてフレーミングせよという割り切った仕様です。露光されない部分も見えてしまうので不思議な感覚です。
もう一台のオリンパスPEN Sを選んだことも大した理由じゃありません。当初はハーフサイズ一眼レフのオリンパスPEN-FTかPEN-FVを持ち出そうと思ったのですが、あれね、良いカメラなんですが、フィルム巻き上げレバーの形が悪く、撮影すると筆者の柔らかな親指の腹が痛くなったりしますので、今回はメカニカルなコンパクトを選んだわけです。決して暑くてやってらんねえから小さいカメラを選んだわけではありません。
PEN Sは昔からけっこう好きで、一時はよく使用しておりました。本当に小さいし、フルメカニカルだからバッテリー要らないし、すばらしくよく写ります。
ちなみにハーフサイズカメラ専用のレンズの性能は数値測定してみると、同等のフルサイズ用レンズよりも高いことが普通です。これはフォーマットが小さいためにプリント時の拡大率が高くなるため、より高い解像力が求められるからであります。PEN Sのレンズは前面からみると口径が小さくて頼りなく、本当にこれで大丈夫なのかと思うのですが、レンズは初期タイプがD.Zuiko 2.8cm F3.5、のちにD.Zuiko 3cm F2.8となりますが、いずれもすばらしくよく写ります。
これはとても不思議なのですが、デジタルカメラを使用していると、72コマなど、あっという間に終わってしまいますよね。ところが、ハーフサイズカメラは、フィルムが終わるまで、永遠ともいえる時間が必要なんじゃないかと思うことがあります。
いまさら「デジタルの軽さとフィルムの重さ」などというつもりもありませんが、撮影のアプローチや、モノの見方が少しだけ変わってしまう場合があるからかもしれませんね。これは撮影枚数にも関わってくるかもしれません。1本のフィルムには枚数制限があるので、筆者の場合はかなりケチくさくなるということもあるかもしれません。
今回の作例は、ごらんのとおり隣り合う2枚の写真を1枚の画面にプリントしたものを主に掲載しました。本誌では1コマを抽出し、ちまちまとハーフサイズの画質を語っても無意味に感じたからです。またWeb記事に縦位置写真の羅列が似合わないようにも感じていること、隣に並ぶコマが互いに呼応している様子とか、撮影時の時間の流れみたいなものをご覧いただくことにしました。
そうです、このやり方では35mmフルサイズの倍のコマ数を撮影できるハーフサイズの経済的メリットはなくなりますし、今回の連載テーマの意味さえ失われてしまいそうです。
しかし、デジタル時代になって、35mmフルサイズの本来の意味をどう考えるのかということを示すという意味において、あえて倍の撮影を可能としたハーフサイズの魅力とはどういうことなのか、あえて非経済な方法をとって示してみたというわけです。照れ臭いので理屈を言ってみたわけですが、例によって何の役にも立たない記事になりましたことをお詫びします。
からの記事と詳細 ( 赤城耕一の「アカギカメラ」 第77回:ハーフサイズカメラの72枚 ... - デジカメ Watch )
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待っています
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