小野田明(記者)
2023年10月26日 (木)
昭和の茨城県石岡市に17年間にわたって駅で飼い主を待ち続け「忠犬タロー」と呼ばれた犬がいました。そのいちずな姿を描いた映画が完成し、10月20日から茨城県内で上映が始まりました。
多くの石岡市民に親しまれたタローという存在と映画に込められた思いとはー。
(取材 NHK水戸放送局 小野田明記者)
JR石岡駅の前には「みんなのタロー」という文字が刻まれた銅像が建てられています。石岡市民に親しまれた雑種犬のタローは、昭和39年に石岡駅で飼い主とはぐれてしまい、迷い込んだ近くの小学校で飼われるようになったといいます。
NHKに昭和52年に撮影されたタローの映像が残っています。学校のアイドル的存在だったタローは、いつしか「忠犬タロー」として石岡市民にも親しまれるようになりました。その理由がタローの日課です。
石岡駅に通い続けた17年間
昭和39年から昭和56年の死ぬ前日までの17年間にわたり、小学校から石岡駅までのおよそ2キロの道のりを毎日朝と夕方の2回通い続けました。
駅ではぐれた元の飼い主を待っていたと考えられています。タローが死んでから40年以上がたちますが、今も石岡市民の心の中にはタローがいます。
小学校に犬がいるというので見に行きました。石岡駅にも見に行ったことがあり、とてもかわいかったです。
タローのいちずな姿 映画に
市民に親しまれたタロー。そのいちずな姿を描いた映画が完成し、10月20日から茨城県内で上映が始まりました。脚本・監督を手がけたのは、この作品が長編デビュー作となる石坂アツシさん。
タローが生きていたのは今から50年近く前ですが、当時の情報を集めるのは難しくなかったといいます。
いちずな犬というところにひかれたのが映画を作ろうと思ったきっかけでした。道を歩いてタローのことを聞けば情報を集められるというぐらい、タローを知っている方が石岡市にはたくさんいました。
オール茨城ロケ 県民・市民も制作協力
すべてのシーンが茨城県内で撮影された今回の映画。石岡市民・茨城県民の協力なしにはできなかった作品だといいます。制作に協力した石岡市の佐藤信夫さん(83)も、駅に通うタローを見守っていた1人です。
踏切の遮断機が下りてからタローが線路を渡ると、ダメダメと言っていた人もいました。タローが17年も駅に通い続けていたから、みんな自分の子どものようにかわいがっていました。
タローの物語が映画化されると聞いた佐藤さんは、撮影場所や事務所として自宅を貸し出しました。
佐藤信夫さん
タローの物語が映画になるということで私は大変喜んで、何の抵抗もなく自宅を貸しました。
昭和の風景 徹底的に再現
映画の中でタローが商店街を歩くシーンは、実際に石岡市内で撮影されました。現在は営業していない魚屋も市民の協力で当時の様子が再現されました。
石坂アツシ監督
この通りで撮りたいと思ったときに、あの魚屋を復活させるのは無理かなと思いました。我々スタッフの力でも無理で、石岡市民の方にお願いしたところ、「片付けるよ」「シャッター開けるよ」「エプロンつけるよ」とものすごく協力をしていただくことができて、市民の方々の力あっての再現でした。
市民つなぐ タローという存在
なぜタローがここまで石岡市民に親しまれているのか。石坂監督は撮影を通して、タローが世代を超えて市民をつないでいると感じたといいます。
石坂アツシ監督
聞く人によってタローの印象が全然違いました。かわいがっていた人もいれば、何をやっているか分からない犬がいたと話す人もいました。ただ、タローを知っている人たちが集まると、タローの話で盛り上がることができる。それぞれの人生が、タローという1匹の犬を通じてつながっていました。
令和の時代に復活するタローの物語。石坂監督は、映画を通して当時の思い出を懐かしんだり、タローのいちずな姿を知ったりしてほしいとしています。
石坂アツシ監督
石岡の人々にとってさまざまなタロー像があるように、この映画をみて、タローという1匹の犬のひたむきな行動をみて、人それぞれの思いで十人十色の感動を覚えてくれればと思っています。
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