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Tuesday, March 8, 2022

「待ってました!おくみちゃん」|山野海の渡世日記|山野海 - 幻冬舎plus

tunggusama.blogspot.com

案の定、花粉に攻撃されまくる毎日を送っております。
こんにちは。山野海です。
3月1日から新しい連ドラの撮影がスタートしました。
今回は仲良しのスタッフさん、共演者さんが多く、とても楽しく撮影をしていますが、それと並行して締め切り間近の台本を抱えてまして、現場に行ってはセリフを喋り、家に帰っては一人黙々とパソコンに向かい、寝る前に翌日のセリフを覚えるという、なんとも落ち着かない日々を過ごしております。
とはいえ、仕事もなくアルバイト三昧の昔を思えば、こんなに幸せな事はないんですが。

 

さて、前回は初舞台の事を書きましたので、その続きをば。

明治座で「天地静大」という舞台でデビューした私。
一番小さかった私は皆さんに可愛がっていただいて、すっかりこの世界が好きになり、千秋楽を無事に終えた後ももうちーたんを泣いて困らせることもなく、機嫌良く劇団若草のお稽古に通っていました。
そんな日々の中、新国劇という劇団のオーディションに行きました。
新国劇は当時、辰巳柳太郎さん島田正吾さんという大俳優の二枚看板で、「国定忠治(くにさだちゆうじ)」「(まぶた)の母」「一本刀(いつぽんがたな)土俵入り」「月形半平太(つきがたはんぺいた)」など、男が男に惚れる!演目を得意とする人気の劇団でした。
そのオーディションに私はなぜか受かり「国定忠治」に出てくる髪結いの弟子おくみという役をやることになったのです。

当時5歳の私。明治座の楽屋にて。

ちなみにですが、おそらく当時の私と同じ5歳くらいだった祖母高尾光子のブロマイドがコレ。

なんだ、この違いは!
あまりの違いに笑っちゃいますよ。ホント。

もうお分かりの事と思いますが、この時のおくみという役は劇中の中で唯一笑いを取る役で、謂わゆる三枚目。
男達が格好良く切った張ったをやってる時に、呑気に舞台に出てきて、お腹が空いたと愚痴言い、居眠りまでしてお師匠さんに叱られ、挙げ句の果ては色っぽいお師匠さんの口真似をして、大人達を煙に巻いて去っていく。
そんな役どころでした。

お師匠さん役の香川桂子さんと舞台上にて。

またしても舞台上でお客様の笑い声に包まれて、上機嫌の私。
何度も来てくださるお客様には「待ってました! おくみちゃん」なんて掛け声までかけていただいて、本当に嬉しかったのを覚えています。

それにも増して嬉しかったのは、舞台に出ると母教子と毎日一緒にいられる事でした。
普段、幼稚園や劇団若草のレッスンに連れて行くのはちーたんでしたが、舞台の本番は親がついていくという決まりがあったようで、舞台に出ると、普段あまり一緒にいられない母と一日中べったりいられた事が嬉しかったのです。今はどうか分かりませんが、その頃の子役の親は、付き人みたいに自分の子供のお世話をしていました。

当時、舞台に出ている時の私の一日をざっくり説明しますと。
朝起きてちーたんに幼稚園に連れてってもらう。
幼稚園を早退して母に連れられ劇場に向かう。
楽屋に着くと浴衣に着替え母に化粧をしてもらう。
それが終わると床山さんと衣装さんのところに行って、カツラをつけ、衣装を着せられ、出番がくると母と一緒に舞台の袖に向かう。
自分の出番が終わると、衣装もカツラもメイクも一度全部取り、楽屋で自宅から持ってきたお弁当を母と二人で食べる。
夜の部まで時間がある時は、一緒に出ているお兄ちゃんやお姉ちゃん達と遊んでもらう。
但し、ここであまりはしゃぎ過ぎると、母に叱られるから要注意。
理由は遊び疲れて、夜の部の本番の時に眠くなっちゃうから。
私のはしゃぎ癖は昔からで、これでよく叱られました。
そして、夜の部を終えて自宅へ帰る。
翌日も全く一緒のルーティーン。
とにかくこの生活が楽しくて楽しくて、永遠に終わらないでほしいと幼い私は思っていました。

そして、私がこんなに楽しく思っていたのにはもう一つ、とても大きな理由がありました。
今も、私の生涯唯一の師匠と思っている辰巳柳太郎さんとの出会いがあったからです。
板の上に立つ辰巳柳太郎という役者の凄まじいエネルギーは、5歳の私の心にも深く響いたのでした。

続く。

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