オリンピックを終えての感謝、そして妹への思いを語りました。
(髙木菜那選手)「私高木菜那は現役を終えることを決意しました。昨シーズン、相当な覚悟を持って取り組んできた1年間だった。
これからスケートを続けるなら、それ以上の覚悟がないともっと速くなることはできないのかなと感じたときに、いろんなタイミングがすべて重なって、あ、私は今やめるべきなのかなとたどり着いた」
髙木菜那選手は2018年の平昌オリンピックでは、2つの金メダルを獲得。
特にマススタートでは初代女王に輝き、日本中が歓喜に沸きました。
そして2月、北京オリンピックの団体パシュートでは銀メダルに輝き、2大会連続のメダル獲得に貢献しました。
会見でもこの2つの大会について振り返っています。
(髙木菜那選手)「一番うれしかったのは、平昌でのパシュートとマススタートの金メダルがやっぱり、あそこでみんなでガッツポーズして喜べたのが一番うれしかったことだと思うし、
それに比べて、今回の北京オリンピックはすごいつらかったですけど、チームのありがたみや仲間の大切さ、いままで応援してくださった人たちの言葉の支えというのを感じられた五輪だったので、どちらも私の心に残る五輪」
仲間の大切さを実感したオリンピックの舞台。
話は妹、美帆選手の話に。
(髙木菜那選手)「妹に関してはつらいこと、乗り越えないといけない壁が多かったし、その間つらかったと思うんですけど、
でもそれがなければ今の高木菜那はいないなと思うので、本当に妹が妹でよかったなと思う」
妹の美帆選手も会見を開き、姉への思いを語りました。
(髙木美帆選手)「私自身が姉を頼りにしているところもたくさんあるのは間違いなくて、姉は私が妹でよかったといってくれたみたいなんですけど、
そんな恥ずかしいことをこの場でいえるかなと思っていたんですけど、こういう話していたら、思い返してみたら姉が姉でよかったなという気持ちがあるんだなと思いました」
会見の外でも姉妹の絆がにじみ出る一幕も。
会見場の外で待っていたのは妹の美帆選手。
サプライズでプレゼントを渡す様子が、SNSで配信されました。
菜那選手の引退を知った地元の人は。
(地元の人)「もうちょっとやってほしい活躍してほしいけど、今日初めて知って残念です」
(地元の人)「2大会連続でメダル取られていて、同じ女性としてすごいと思うのでお疲れさまでした」
菜那選手ゆかりの人たちからも、続々とメッセージが寄せられています。
髙木姉妹がよく訪れていた和菓子店です。
(高橋まんじゅう屋 高橋道明さん)「本当にお疲れ様でした。ご苦労様でした。能力の高い人ですから、がまんしていたものを存分に出して新しい結果を出していただきたい。」
小学生時代の菜那選手を指導したという恩師は。
(小学生時代の菜那選手を指導 久保正寿さん)「びっくりしたですね。まさか近に早くやめるとは。まだこの次の五輪まで出てくれるかなと思っていたけど。
ちょっと早いね。本当にご苦労様これから次の人生悔いのないように。今度会ったらいろんな話聞いてみたい」
競技者としての実力はもちろん、はじけるような笑顔や時折見せるあどけない表情で私たちを魅了し続けた菜那選手。
引退後はスポーツ振興のための講演活動や、テレビ出演も含めたメディアを通じての活動に挑戦したいと語っています。
(髙木菜那選手)「つらいときのほうが多かったスケート人生ですが、最後、心からあきらめずにスケートを頑張ってきてよかったと思いました。
髙木美帆の姉ではなく、髙木菜那として自分の意志で氷の上に立ち戦えたことが引退を決意したもう一つの理由です」
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待っています
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