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Tuesday, November 28, 2023

響けテネシーワルツ…ハンセン病療養所入所者へ寄り添うジャズ ... - 読売新聞オンライン

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「マチルダ」 福島愛朕(まち)さん 58 

 9月中旬の昼下がり、高松市沖合の島にあるハンセン病の国立療養所「大島青松園」で、高知を拠点に活動するジャズシンガーのテネシーワルツの歌声が響いた。入所者や職員ら約50人が聴き入り、手拍子を送った。新型コロナウイルスの影響で中断していた慰問を今年から再開。施設には、16歳で隔離され、70年間暮らす伯父がいる。

 高知県土佐清水市出身。4歳から日本舞踊を習っていたが、中学生の頃、ジャズに魅了された。ラジオで曲を聴いて独学で歌を練習し、「いつかピアノにもたれてジャズを歌う」と夢見た。

 高知市で看護師になり、フュージョンやソウル&ジャズのバンドのボーカルとして音楽活動を続けた。2013年、知人の紹介で渡米して数週間、ロサンゼルスのジャズ奏者とホテルなどで共演。「本場のサックス奏者らの音楽に対する姿勢に圧倒された」

 帰国後、50歳を前にプロとして活動を始めた。「マチルダ」の名でバーやイベント、東京のライブハウスで歌った。ステージに立つ時は着物姿。「日舞をやっていたので、本来の自分でいられる」。和装シンガーとして知られるようになり、演歌歌手・三山ひろしさんの前座も務めた。

 親戚間でも隠されていた母親の兄にあたる伯父・野村宏さん(87)の存在を知ったのは02年。祖母の看病に土佐清水に通っていたが、亡くなった後に、母から知らされた。

 危篤の祖母に点滴を打つと、意識を取り戻した。直後に訪ねてきていた野村さんと、親子最期の言葉を交わすことができたと教えられた。祖母は、息子がいつでも帰って来られるようにと、野村さんの生家で独り暮らしを続けていた。

 以降、野村さんが一時帰宅や講演会で訪れる度、会いに行った。病気と過酷な作業で指先が変形した手、見えなくなった左目。これまでの生活を聞いて涙した。プロになり、施設で歌わせてもらいたいと願い出た。

 実現したのが18年2月のカラオケ大会。野村さんが最前列で見守る中、美空ひばりさんの曲などを歌った。翌年も訪れたが、コロナ禍で行けなくなり、ようやく今年7月のカラオケ大会と、9月の敬老会に招かれた。

 テネシーワルツは、入所者らからのリクエスト曲。ジャズだけでなく高齢者ら向けに演歌や民謡も歌う。今回の着物は、オレンジに花柄のお気に入りの一着。歌いながら一人一人の入所者の人生を思う。「笑顔で聞いてくれる姿に逆に勇気づけられるんです」

 慰問はライフワークになった。「私が音楽や日舞をやってきたのは、ここで歌うためだった。今はそう思っています」(上田昌義)

 大島青松園で、野村さんに話を聞いた。

 愛朕が来て歌うてくれて、盛況でみんな喜んでいた。うれしいというか、めいが来て歌うような時代が来るとは、夢にも思わんかった。

 すぐに帰れると思って来たけど、隔離されてここで死ぬための場所やった。自ら命を絶つ人もいて、何人の最期をみとってきたかわからん。でも、仲間で支え合って生き延びてきた。

 いまだに一度も古里に帰っていない人や、家族が差別に遭うからと縁を切られて、本名を名乗れん人も大勢いる。わしは母親が、いつか帰って来ると信じて、家族の一員として待っていてくれた。親戚の間でも、絆を保っていてくれた。今年も墓参りに帰ったよ。古里に戻れるのも、おふくろのおかげや。

 愛朕も気丈なやさしいところが似ている。やっぱり身内や。また歌いにきてほしいなあ。待っているよ。

 ◆ ハンセン病  らい菌の感染によって皮膚と末しょう神経が侵される。「らい予防法」(1931年制定、53年改定)で療養所への強制入所など患者の隔離政策が行われた。感染力は弱く、治療薬で根治できることが判明しながら、日本では長年、偏見や差別が続いた。同法は96年に廃止。2001年の熊本地裁での国家賠償請求訴訟で、強制隔離政策を憲法違反とする判決が言い渡された。大島青松園には現在、元患者35人が暮らす。

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