横田めぐみさん拉致から46年
- 2023年11月16日
当時中学1年生だった横田めぐみさんが新潟市で北朝鮮に拉致されてから46年。
13歳だった少女は59歳になり、再会を待つ早紀江さんは87歳になりました。
早紀江さんはことし初めて体調を崩し入院していて、「体も弱ってくるので、早く解決してほしい」と訴えます。拉致被害者の家族会は、ことしの活動方針で、「親世代が存命のうちに全員の帰国が実現するなら、北朝鮮に人道支援を行うことに反対しない」と、条件付きで北朝鮮への支援に初めて触れるなど「残された時間はない」という切迫感が強まっています。
「早紀江さんが元気なうちにめぐみさんと再会を」。めぐみさんの恩師の思いを取材しました。
新潟放送局 油布彩那
事件の8か月前 めぐみさんの歌声
拉致事件のおよそ8か月前、小学校の卒業式のあと、保護者への感謝の思いを込めて6年生全員で合唱した「流浪の民」。
めぐみさんはソロパートを担当しました。
めぐみさんの席はことしも空席
歌が大好きで、どこでも歌い出すような少女だっためぐみさん。
再会を喜びあおうと同級生らが開くコンサートはことし13回目となりました。
ことしもめぐみさんの席は空席。一緒に歌うことは叶いませんでした。
めぐみさんの同級生
転校してきてすぐ、『私、合唱部に入ろうと思うのよろしくね』と自分から話しかけてきて、『私のことはヨコって呼んでね』と言ってくれたヨコ。覚えていますか?
歌うことが大好きだったヨコ。ヨコが帰国したら、また一緒に声を合わせて歌いましょうね。
その日がくることを信じて諦めずに待っていてください。
客席にも再会待つ人
コンサートの日、客席にもめぐみさんとの再会を待つ人がいました。
めぐみさんが小学生のとき、音楽の授業を担当していた根津順子さんです。
めぐみさんが小学生のとき、音楽の授業を担当していた根津さん。
めぐみさんのきれいな歌声は今でも印象に残っているといいます。
根津さん
本当にきれいな美しい歌声のお嬢さんだったっていうのをよく覚えています。
私の頭の中のめぐみさんまだ小学生です。
根津さん
かわいい、この顔しか記憶にないわ。
恩師らで横田夫妻を励ます
北朝鮮が初めて拉致を認めた2002年。
根津さんは、当時の小学校の校長の呼びかけで横田夫妻を励まそうと開かれた会に参加。
その後も、めぐみさんの誕生日を祝う会などに参加。他の先生らとともに横田夫妻を支えてきました。
しかし、亡くなる人もいるほか、高齢化で参加できる人は年々減っていきました。
根津さん
皆さんでというのも、だんだん1年1年難しくなります。先生方もたくさん鬼籍に入られて、
みんなそれぞれ年を取って昔のように活躍できなくなる。
本当に長い年月が過ぎたんだなってそれが実感です。
活動はめぐみさんの同級生に
再会を目指す活動は、先生たちからめぐみさんの同級生に引き継がれ、2010年からコンサートが開かれるようになりました。
根津さんは練習はもちろん、コンサートでは舞台に立ち、同級生らの合唱を指揮したり、一緒に歌ったりしてきました。
合唱の指揮をしていたときに見た、早紀江さんが泣いていた姿が忘れられないと話します。
根津さん
合唱の指揮をしてこうくるっとまわって皆さんにご挨拶するときにめぐみさんのお母さんと目があうんですよね。めぐみさんのお母様が涙ぐんでいらっしゃる姿を見ると、どうして本当にこんなに長引いているのかなって。
進展なく、もどかしい思い
再会するまで捨てられないと保管してきたパンフレットはたまっていくばかり。
拉致問題に進展がみられない状況に、根津さんは、はがゆい思いを抱えています。
根津さん
最初のころはこんなに長くなると思わないから、こんなにたまるとは思いませんでしたね
初めて客席からの参加
これまで同級生らと一緒に活動してきた根津さんもことし83歳。
体力の低下を感じるなか、ことしは初めて、客席からの参加となりました。
根津さんは同世代の早紀江さんが元気なうちに、めぐみさんと再会して喜ぶ姿を見たいと強く思っています。
根津さん
みんなで大合唱したいですね。「翼をください」、「ふるさと」、本当に大合唱したいですね。
めぐみちゃんが帰ってきてお母さんの腕で抱きしめるまで、お元気でいてくださいってことだけです。お母様も私たちも元気なうちに、とにかく早紀江お母様の笑顔、心から笑える笑顔を見たいです。
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待っています
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